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Arikainaメールマガジン 2025/3号(2025/3/10発行)


Arikainaメールマガジン 2025/3号

皆様こんにちは、Arikaina発行人です。
今月は以下のような記事を掲載しています。

※本紙ホームページから全ての記事をご覧いただけます。
Arikainaホームページ
https://arikaina.com


▼広川町の大事業 役場・耐久中・町民会館の移転が白紙に
https://arikaina.com/_article/202503/hirogawa-transfer-1.html

▼ワカヤマソウリュウ、復元骨格と模型が完成!自然博物館やALECで展示
https://arikaina.com/_article/202503/wakayama-souryu-1.html

▼海南市歴史民俗資料館が閉館 43年の歴史に幕
https://arikaina.com/_article/202503/hf-museum-1.html

▼生石ラジオ館 放送百年記念企画展
https://arikaina.com/_article/202503/broadcast-100-1.html

▼ほか記事一覧
https://arikaina.com/_article/202503/kiji-index.html


メルマガ読者の皆さんこんにちは、Arikaina発行人です。

もう春かいなと思うような温かさになったかと思えばまた寒くなったりと、体壊してくださいと言わんばかりの気候が続いています。昔から三寒四温とは言いますが、暑い寒いがだんだん極端になってきているように思います。

今月は、まずおわびからです。先月号の「有田市で『陥没の恐れあり』として、道路が片側通行に」の記事で、県では今のところ点検の予定はないと書いたのですが、2月4日の知事記者会見で伊都と那賀の下水道を点検していたと発表していました。私の確認ミスで県が何もしてないみたいな記事になってしまいました。

急いで刷り直して配布し直したのですが、如何せん気づいた時には配布からすでに一週間ぐらい経っており、もう結構はけていたところもあり、全部差し替えるのは無理でした。県の関係部署にもおわびのメールをしましたが、本当に申し訳ありませんでした。


ここからは今月の記事についてです。今月は広川町の大事業、役場や中学校の移転のことを大きく記事にしました。

この話を最初に聞いたのは去年の夏ぐらいだったと思うのですが、そのころはまだはっきりと決まっておらず、町に問い合わせても「まだ何とも…」といった反応でした。移転するとされていた町民会館には本紙を設置させていただいていますので、配布に行ったときに「どうですか?」みたいに聞いてみたのですが、職員の方もそういう話が出ていることはご存知だったものの、正式にはまだ何も話は聞いていないということでした。

この話を聞いたときに思い出したのが、記事に書きました津村さんの文章です。あの原稿はもう4年前のものですが、当時読んでこれは素晴らしいと思って、いつか記事とかメルマガでご紹介できればと思っていました。私はご本人にお目にかかったことはなかったのですが、思っているうちに今年に入って訃報に接し、ちょうどこの移転の話もあったので記事にした次第です。

今回記事にするにあたって、広川町にある「稲むらの火の館」に津村さんや今村さんの書かれたものについて問いあわせたところ、館長さんがわざわざプリントアウトしてご用意してくださいました。本当にありがとうございます。おかげで「稲むらの火」の舞台となった安政の地震だけでなく、その前後の地震についてもいろいろ知ることができました。

津村さんも書かれているのですが、安政地震の時のことは「稲むらの火」で(事実とはちょっと異なる点はあるものの)広く知られていますが、昭和の南海地震の時にどうだったかはあまり知られていないと思います。私も「稲むらの火」の影響で、安政地震の後で広村堤防築かれ、そのおかげで昭和の地震では被害を抑えることができた、ということぐらいしか知りませんでした。

しかし記事に書きましたように、昭和の南海地震では広村(現在の広川町)の犠牲者は22名。安政地震の時の犠牲者は36名だったそうですので、広村堤防があっても結構被害が出ていたのです。津村さんも「防潮堤がありながらの22名は決して少ないとは言えない」と書かれています。

たしかに村の中心部への津波は広村堤防でくい止めたものの、堤防の端、江上川を逆流した津波が耐久中学校や日東紡の工場、周囲の住宅街を襲い、これだけの被害が出たということです。

さらに興味深かったのは、安政地震の津波は高さ6メートルだったそうなのですが、安政地震の前、宝永の地震のさいには11メートルぐらいの高さだったということです。津村さんは「もしも宝永並みの津波であったら、堤防では防げず、犠牲者はずっと多かったと思われる」と書かれています。

つまり今では「広村堤防のおかげで昭和の南海地震の時には被害をかなり抑えることができた」みたいによく書かれたり言われたりしているのですが、津波次第では「残念ながら昭和の南海地震による津波を堤防は防ぐことはできなかった」という評価になっていたかもしれないわけです。

もちろん、もしそうなっていたとしても広村堤防に意味がなかったわけではありません。安政の地震で被災した村人に仕事を与えたという意義もありますし、何より結果的には昭和の地震で村の中心部は守ったわけです。ただ考えるべきだと思うのは、過去の知見をもとに準備していても、それだけで防げるわけではないということです。

今村さんは行政にもかなり積極的に発言する方だったようです。これは記事には書かなかったのですが、広村堤防のあの「赤門」の鉄扉を、門が内開きになっていたのを外開きにするよう強く意見したそうです。要は海側から閉まるようにしておけば、津波が来たらその力で自動的に閉まるということです。

これはすぐにそう改修されたそうなのですが、ところが昭和の南海地震が起こったさいには、鉄扉が錆びていて閉まらず、近所の人が掛け矢(大きな木槌)をふるって閉めたそうです。何事も想定外というのは起こるわけです。

で、今回の移転の話です。たしかに現在では江上川には立派な水門ができています。しかし海に近く、リスクがあることには違いありません。それも今村さんのような先人があれだけ危険性を指摘していたところであり、実際に大きな被害を出したところでもあるわけです。

町としてあれだけ広大な日東紡の工場跡を活用したいというのはあるのかもしれませんが、どのみち嵩上げもしないといけないですし、記事にも書きましたように樫原現町長も町民から「安定した地盤の高台にしてはどうか」と言われたと仰ってました。まあ、そういう風に思っている町民の方は少なくないんじゃないかと思います。

町民でもない私が言うのも何ですが、どうせ役場を移転するのであれば、もう少し内陸部の方を開発してもいいんじゃないでしょうか。10年前に湯浅町の役場が結構内陸部の方に移転しましたが(あれも結構思いきった移転だったと思いますが)、山間部はただでさえ過疎が進んでるわけですから、近いとこで少しでも人のにぎわいが戻れば、それも意義のあることではないかと思うんですが。

ついでに言いますと、個人的には今の広川町役場の位置も「なんであそこに」という気がします。42号線にしても鉄道にしても堤防よりもっと内陸部にあるわけですし、何も広村堤防より海側を埋め立てなくても、内陸部をもっと開発すればよかったんじゃないでしょうか。


今月はもうひとつ、ワカヤマソウリュウのことについて(また)記事にしました。何かもう不定期連載みたいになってますが、ついに全身骨格が完成!もういろんなメディアでとり上げられているのでご存知の方も多いでしょうが、ほんとにすごい迫力です。昔よく○○恐竜展とかで目にしたような、海外から来たどでかい恐竜の化石みたいな、ほんとにあんな迫力です。

たくさんの骨が見つかったことで、前から「全身骨格とかつくらないんですか?」とか自然博物館の人に聞いて、「やりたいですが、お金が…」みたいな会話してましたが、レプリカではあるものの全身が見られるようになり、関係者でもないのに何やら感慨深いものがあります(笑)。

海南の自然博物館と、発見地である有田川町でも展示されますが、記事にも書きましたように博物館で常設展示されるようになると天井から吊り下げるそうですので(場所がない)、そうなると外に持ち出して展示するのはかなり難しくなると思います。まあ海南まで行けばいいのですが(本物の化石も見られますし)、有田川町で見られるのは、ひょっとしたらこれが最後になるかもしれません。

もっとも記事にしました通り有田川町でも全身骨格をつくっていますので(なぜ町でももう1つつくるのかというは思わなくもないですが)、そちらの方は完成したら有田川町で常設されるのかもしれません。

しかし長らく追いかけてきたワカヤマソウリュウも、いよいよこれで研究や展開もひと段落かなという感じです。博物館としてはかなり思い切って予算を使って発掘されたみたいですが、十分にその甲斐はあったんじゃないでしょうか。

今までは自然博物館と言えば、博物館というより水族館というのが大方の認識だったと思います。しかしこれで「水族館だけじゃない」ということを、学術的にも世間の盛り上がり的にも、存分に見せつける結果になったんじゃないでしょうか。もっとも当の博物館自体が、岸本知事曰く「必要かどうかをふくめて議論を」ということになってるんですが…


というわけで、今月はここら辺にしておきます。これ書いてますのが10日、明日は3月11日です。東北からはるかに離れた和歌山でも、'11年、気付いたら震災に関する記事が多くなっていた当時の号を思い出します。特別意図したわけではないのですが、この月に地震・津波に関する記事をとり上げるのも、何か意味のあることなのかな、という気がしないでもありません。

今月大きな記事にした広川町+自然博物館で言いますと、白木海岸に恐竜の骨とかが見つかったボーンベッド(化石がたくさん見つかるとこ)があるのですが、予算の関係で発掘できていないままです。くわしい場所は明らかにされていないのですが、どうも発掘自体が結構難しい場所らしいです。町と博物館で話もしたらしいというのはちらっと聞いたのですが、何千万とかですとなかなか大変だろうなと思います。

隣の湯浅でも恐竜の化石が見つかってますし、ボーンベッドを掘ればすごいものが出てくる可能性が高そうなのですが、もし自然博物館が廃止もしくは規模縮小というようなことになりますと、予算がどうこう以前に発掘自体が難しくなるかもしれません。

どのみち建物はかなり老朽化していますので、ほっとけばいずれ今と同じようには運営できなくなるはずです。そうなると職員の方も教育委員会とかに移動になって、庁舎の片隅で標本や資料の整理とかして、「珍しい生き物がいた」とか自然に関する問い合わせがあったら受け付ける、みたいになるんでしょうか。

どのみち博物館があるのに比べたら、研究やフィールドワークは後退することになるんじゃないかと思います。山と海に囲まれた和歌山県、「自然」は大いにウリにすべきじゃないかと思うのですが…

この3月議会で県の予算についていろいろ言われているようで、知事は基金(県の貯金)をとり崩したことについて「ざんきに堪えない」としながらも、「未来のために投資をしないわけにはいかない」「既存の事業の効果を検証し、スクラップアンドビルドに厳しくとり組む」とか発言されてました。できればその「未来」の中に、県内の自然の調査や分析、そして自然をさまざまな面で活用することも入っていてほしいと思います。それではまた来月〜

※次号は4月10日発行です。

有田・海南のフリーペーパー Arikaina
発行 内河将史
https://arikaina.com
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〒649-0111 和歌山県海南市下津町方187-10

稲むらの火の館 やかただより 第125号 令和3年3月号
https://www.town.hirogawa.wakayama.jp/inamuranohi/tayori/pdf/R0303.pdf
今村明恒「南海道沖大地震津波 =昭和の南海道大地震津波につき廣村の人々に寄す=」
和歌山県広町「津波略史と防災施設」
土木用語に見られる独特な言葉(掛矢:かけや) | 土木学会 企画委員会
https://committees.jsce.or.jp/kikaku/node/50
Arikaina - 自然博物館が避難タワーに?県が検討委員会の議事概要を公開
https://arikaina.com/_article/202501/nature-museum-1.html
Arikaina - 広川町で恐竜化石を多数発見 化石発掘イベントを開催
https://arikaina.com/_article/202302/dinosaur-1.html
和歌山に恐竜がいたころ|和歌山の化石|見る!学ぶ!自然を探る!和歌山県立自然博物館
https://www.shizenhaku.wakayama-c.ed.jp/fossil_detail/detail03.html
「ざんきに堪えない」 当初予算案が74億円の収支不足、和歌山県知事が陳謝(紀伊民報) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/48c408fa701030ad80eb3552df15da7e725ebda5
和歌山県議会 令和7年3月4日(火) 一般質問 濱口太史(自由民主党県議団)
https://kengikai-tv.pref.wakayama.lg.jp/data1SMP/20250305113022/vod.m3u8

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