| かつて金屋に、日本全国の天文好きが集まった |
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協力して、楽しみながら。
よろこびがあってこそ長続きする
岡山の師範学校にいたころ、軍隊に動員され歩哨(見張り役の兵隊)についていた小槇さん。「当時の日記が残っているんですが、歩哨をしている間も空を見て、黄道光(太陽の通り道に伸びる光の帯)を観察していたようです。その結果を仲間の兵隊に話したと書き残しています(清嗣さん)」
持病もあり、戦地へは行かずに済んだ小槇さん。戦争中は小学校で先生をしていました。「あの時代やから、小槇先生も授業の時に一応戦争の話はしてた。そやけど、一応や。夏休みなると校庭に望遠鏡持って来て、月のクレーターとか見せてくれて、いろいろ星の話してくれた。今でこそ『エコ』てよう言うてるけど、小槇先生はあのころから、太陽からいただいたもんで生活せなあかんと仰ってた(当時、鳥屋城小学校で小槇さんに教えてもらった岩本勉さん)」
小槇さんは同好会では、プロでもアマでも分け隔てなく、天文好きなら誰でも受け入れる姿勢を取っていました。その交流は国内だけでなく海外にも及び、アメリカや西ヨーロッパから、当時冷戦中だったポーランドや東ドイツの研究者とも文通し、情報を交換していました。