かつて金屋に、日本全国の天文好きが集まった

日本流星研究のパイオニア
小槇孝二郎さんの
足跡を辿る展示会[4]

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同好会の会報「天文回報」(ALECの展示より)小槇さんは経費削減のため、一人で手書きした原稿をガリ板で何百枚と刷り、毎月会員に郵送していました。「天文回報」は現在も日本流星研究会によって発行されています。

協力して、楽しみながら。
よろこびがあってこそ長続きする

岡山の師範学校にいたころ、軍隊に動員され歩哨(見張り役の兵隊)についていた小槇さん。「当時の日記が残っているんですが、歩哨をしている間も空を見て、黄道光(太陽の通り道に伸びる光の帯)を観察していたようです。その結果を仲間の兵隊に話したと書き残しています(清嗣さん)」

持病もあり、戦地へは行かずに済んだ小槇さん。戦争中は小学校で先生をしていました。「あの時代やから、小槇先生も授業の時に一応戦争の話はしてた。そやけど、一応や。夏休みなると校庭に望遠鏡持って来て、月のクレーターとか見せてくれて、いろいろ星の話してくれた。今でこそ『エコ』てよう言うてるけど、小槇先生はあのころから、太陽からいただいたもんで生活せなあかんと仰ってた(当時、鳥屋城小学校で小槇さんに教えてもらった岩本勉さん)」

小槇さんは同好会では、プロでもアマでも分け隔てなく、天文好きなら誰でも受け入れる姿勢を取っていました。その交流は国内だけでなく海外にも及び、アメリカや西ヨーロッパから、当時冷戦中だったポーランドや東ドイツの研究者とも文通し、情報を交換していました。

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有田・海南のフリーペーパー
Arikaina
2009/8号

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